artchango

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manuel felguérez


みなさん、元気ですか?
コロナウィルス気をつけてくださいね。
とうとう、パンデミック宣言出ちゃいましたね。
俺は、今日もごきげんです。
えなが風邪ですけどw
コロナ?w
さてさて、突然ですが、世の中には色々な画家がいますが、最近特に多いのが、漫画みたいな絵をかいてファッションみたいに売ってるやつですね。
チラチラ目につきますね、こざかしい輩がw
いいんです、色んなのがあっていいんです。
いいんですけど、その中でも、一番胸くそ悪いのが、ポスター作ってサインいれてバカみたいな値段で売ってる奴らです。
いいんですよ別に。
いいんです、お金もうけしていいんです。
ただ、自分で作って売ってる奴らってまじでだせえと思うん。
学制上がりで、絵が売れない頃にやってるのはいいよ。食っていくために色々模索するのは当然だからね。
でもさああ、どっかで腹くくって絵で食う!って根性がねえもんかね?
大体そう言う奴らの絵って、コピーしやすいようにきれーに塗られてることが多い。
流行りの塗り絵ですわ。
しょーもな。
絵なめんなよ!って話ですわ!
まあ、そもそもコピーでもいいような絵だからそういうことになるわけだけどね。
さて、そんな時にはこの人manuel felguérez。メキシコを代表する抽象画家・・・でも彫刻もやる・・・色々やる。
ピカソの次に、芸術家と呼べる人ではないでしょうか。
俺は、基本的に抽象画が嫌いです。つまんない。
そう、抽象画ってのは自然をキャンバスに描くっていうか、自然って言うとどうしても風景画?みたいになっちゃうと思うんですけどそうじゃなくて、人間から出てくる自然な感情っていったほうがいいのかな?
うん、感情って言った方が分かりやすいかもしれないけど、そんな単純なもんじゃない。
やったことがあるからわかるけど、感情だけでは成立しない。
むしろ、感情をぶつければ作品になると思って抽象画を描いているやつが多すぎる。
ポーローックを、最高の抽象画家だというやつがいるけど、あいつの絵に感動は無い。
絵の具を投げて、絵を成立させた初めての人という意外になにもない。運動を絵の具に乗せたという表現ですね。まあ、子どもだってできます。
そう、みんな抽象画をなめてるんです。
俺が抽象画が嫌いだったのもそう、なぜか、それは作品の完成度があまりにも低いから。
現代美術のほとんどに言えることだけど、作品よりも先に説明があるんだよね。
そうじゃねえだろ。
俺ら画家ってやつらはさ!
言葉にできねえ、どうしようもねえもんを、絵に描くんじゃねえかよ!
説明なんてできねえんだよ!
それがどうでしょう?
このくそアートの世界は。
がっかりんごです。
そう、そんなくそみたいな抽象画を見せられてた俺に「本物とはこういうことだよ、ちんこくん」と別の世界から教えてくれたのがこの人です。
サカテカスにある、刑務所を改造したこの美術館には絶対いくべき!
メキシコに来て、ココにいかなかったら本当にもったいない!是非みなさん足を運んで下さい。
とにかく、このmanuel felguérezの作品の美しさは別格です。
実見です、絶対!印刷物にはこの人の絵の魅力なんて何にも反映されません。
是非実物をーーーー!
もうね、形、色それだけで表現されているのに、形からも色からも解放されます。
岡本太郎がいいました「形は形じゃなくなり、色は色でなくなるんだ。それが芸術だ」と。
はい、この作品をみて分かりました。色がきれいだなー、形がすきだなー、っていう風に絵をみないです。
何かわからない、つかみきれない、感情でもない幻影風景のような、なんだろう。そう!言葉にない!
遥か祖先からの、記憶を紡いでいくような、なんともいえない気持ちがじんわりとあふれてくるんです。
いや、そんなんじゃないのよ、もっとなんか温かかったり、冷たかったり、わかりませーん!w
ようはね、抽象画ってのは、目に見えないものを絵にする手段なんですよ。
例えば、温度って目に見えないでしょ。
でも。体温計は目に見えるよね、でも、あれは温度を表現してるわけではないん。
ただ、温度を数値化してるだけであって、温度というものではないのよ。
どういうことかっていうと、俺がさ、えなをぎゅーってしてるとするじゃん、滅多にないんだけどw
それはさ、数字じゃないのよ、心と体温と共にそこにあるわけ。
それを体温計では表現できないじゃない。
だから、目に見えないものってのは、単純に数値化することじゃないのよ。あれは一つに視覚化する方法ではあるんだけど、抽象表現ではないん。
心だと思うのよね。それがね、抽象画ってできるのよ。
これは、具象絵画には絶対にできない。なぜか?形が邪魔するからです。
具象絵画は、あるメッセージを伝えることにはとても適してるんだけど、気持ちをというか感情というかそういうものを現したい時に邪魔になることがあるん。
なぜなら、具体的なモチーフを描いてしまうと、そのモチーフに人の気持ちや、イメージはは左右されてしまうから。
例えば黒い電話を描きました。おじいちゃん世代には、時代を切り開いた革命的なものにうつるかもしれないし。
お母さん世代には、懐かしいものにうつるでしょう。
今の子どもたちには、TVの中でみたことあるという認識でしょうね。
つまり具体的なものを描くことによって、見る人の感情はバラバラになっていくのです。
ところが、このmanuel felguérezの絵は、そう言うものが一切無い。かといって新しい技法にたよったという作品でもない。
作品の美しさ完成度を完璧に保ち、人間の中にある、いや自然・地球の記憶やエネルギーのようなものを自分の体を通して表現したというのがしっくりくる。
今までたくさんの作品を見て来たけど、こんなに心に染み渡ってくる作品は過去に無いですね。
何かね、すごい綺麗な鉱石を割った断面図のようなさ、色がねキラキラしてんのよね。
色が生きてて。
目がね、この絵みてると喜んでるのがわかるん。宇宙の中の自分を見るようなね。不思議な気持ちになるのよ。
衝撃と静寂を一度に感じる。そんな絵。
上手く伝えることが出来たとは思えないけど、そう言う作品なのです。ただただ感じる。そういう作品なのです。

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