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砂に埋もれる犬


俺は冷血な人間です。
絶望的な事件が起こった時に、その事件やそれによって自分の感情が揺れ動くことさえも、客観的に分析している自分を感じるからです。
さて、そんな俺がこいつ俺以上にさめきったもう一人の自分を飼っていると思っているのがゴヤです。
もう先に言っておきますが、今日はもちろん黒い絵について描きます。
伝説の14枚の絵ですね。
でも、その前に俺がなんでこの人に冷めきった目を感じるかというと、「マドリード、1808年5月3日」という作品が一番分かりやすいと思います、画像はどっかでひろってみてください。
兵士が命をうけて市民を射殺する様を描いた作品だが、この作品から感情を全く感じないんです、何と説明すればよいのか分からないんですが、完璧な構図で光と影をあやつりドラマチックなのに、なぜかそこには感情がない。
まるでそこに、感情の無い透明人間がカメラで切り取ったようなそんな冷たい目を感じます。
正直、ゴヤの絵の一番恐ろしいのは、冷たい画家の目だと思います。
さて、そんなゴヤが晩年にのこした曰く付きの14枚の絵。
それが黒い絵と呼ばれる14枚の作品です。
この14枚、ほぼすべてが不気味な絵なのですが、すべて自分が住んでいた家に飾られていた物らしいです。
怖すぎるw
x線でみると、最初は風景画が描かれていたということも分かっているらしいです。
つまり、自分の家を飾るためにに描いた風景画をすべて消して不気味な絵に塗り替えたのです・・・なぜ?なぜだろう?
わかりませんね。
時間がゆるすなら、この14枚すべてについて語りたいのですが、めんどくさいので一枚を選びます。
本当は「我が子を食らうサトゥルヌス」っつー一番怖い作品について書きたいのですが、これはもうめっちゃたくさんの人が書いてるので、もういいです。
あとで、もっと怖く書ける自信が出来たら書きますね。やっぱレベルが高すぎる。あれは。
というわけで、今日は「砂に埋もれる犬」についてです。
最初に、この黒い絵シリーズについての誤解を解いていきましょう。
この絵発見された時には、既にゴヤが死んでいたのかなんなのかは知りませんが、とにかくまったく何も情報が残ってない絵なんです。
つまりタイトルもウソなんです。
画家がつけたものではなくて、あとでプラド美術館に寄贈された時につけられたそうです。
さて、それでは見てみましょう。
この犬、タイトルを見たあとだと、砂に埋もれてるようにしか見えませんよね。
でも、例えばタイトルが「明日への希望」とかだったら絶対見え方が変わってくると思うんですよね。
坂を上ってきて夕焼けを見つめている絵にも見えてきます。
まあ、それはないですけどね。
ゴヤが黒い絵のシリーズを14枚家に飾っていたことを考えれば、この家は個展だったんです。
つまり、やはり14枚で何らかの世界を描いていると思うんです。
でも、だからといって俺にはやはり砂に埋もれてる犬には見えないんですよね。
確かに物悲しそうな表情をしてますが、首から下を埋められてあきらめてる表情とは何か違う・・・もっと絶望と戦おうとしているというか・・・関係ないんですけど、右にあるシミが目がぽっかり空いた鷲鼻の老人が立っているように見えるんですよ。
たぶん絶対関係ないと思うんですけどね。
そいつが死神に見えてしょうがないんですよね。
でも、犬を見てるわけじゃないんです、こっちみてるんです死神が。
俺ね、これゴヤだと思うんですよ。
もし、この絵が犬が埋められてる絵だとしてですよ、それを見てるあなたがいてですね、それを冷たい目で見ているこの死神がゴヤなんですよ。
たぶん、この絵はね呪われててこのゴヤの死神が浮き上がってきたんです。
こえええええー!それ、こわいいいい!
ッという風に、どっかに書いてあることを読んでえた知識で絵をみるよりも、自分自身の感じたことや想像したことを大切にして絵を見た方がもっと味わい深い世界を感じれると思います。
特に、このシリーズにはタイトルも付けられていないし画家の説明が全く残っていない作品です。
是非プラド美術館で楽しんで下さい。
幸いなことに、プラド美術館にすべて一緒に展示されています。是非ゴヤの残した謎を解きにいってみてはいかがでしょう。
ただ、怖いですけどねー、呪われてますからねーw

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