artchango

芸術・絵画・アート・映画・ときどき俺のこと


おはこんばんちわ。みなさんアートは好きですか?俺は嫌いです。
というよりも、アートという言葉にすごい疑問があります。
アートって何さ?俺の大好きな大学の先生の言葉ですごく印象に残っているのがあります。「アートって言葉をみんな使うけど、それは何?だれか説明出来る?」この単純な質問に我々学生は持てる知識を使って戦いました。
そして、自己表現されている物はアートなのではないかという結論にたどり着きます。
しかし先生の一言で全ては終わります。「つまり、君たちは自己表現されている物であればすべてアートなわけね?レオナルドダヴィンチの描いた絵と、あなたの好きなミュージシャンが歌う歌は同じくくりになるわけですね。」と・・・なるほど、そりゃあ違うわ。
いや、そうなのかもしれない。表現がアートなのかもしれない。ただ、あまりにも俺らが使っているアートという言葉は広すぎる。
少なくとも、ダヴィンチの絵を語っている時に使うアートと子どもの絵をアートといった時に、その間にはとてつもない溝があるし、少なくともそれを意識して使っているとは思えない。
みな、わからずに使ってる、間違いなく。
このアートという言葉が一人歩きしている。
よくよく考えてみると、俺たちはこのアートという言葉に騙されながら生きている気がする。
そこで登場するのがこの「泉」というタイトルの作品、そう20世紀最大のアーティストと言われる芸術家ドュシャンです。このブログで初めてゴミを紹介します。w
この作品、男子便所を横に寝かせてサインをいれただけの作品です。この人はこの作品でどんな物でも美術館においてあれば芸術作品であるのか?と問うたのです。
そして、芸術作品とは美を追求する物ではなく、どういう意味を持つかが重要であると言っているのです。コンセプチュアルアートの始まりですね。つまり、造形的な作品ではなく哲学的な作品です。
はい、立派な考えですね。ごもっともです。でもね、字で書けばいいです。トイレを使う事でインパクトはあったよね。すごい挑戦!それは認めます。
こいつが言ってる事はたしかにその通り。百歩譲ってこいつはいいです。問題はこのあとに続いていつまでも馬鹿な事やってる奴ら。
アホかと思いますね。俺は、意味を持たずとも作品だけで語れる、または作品だけで完結出来るものにしか興味がありません。
意味や技法や歴史は後で楽しむためのデザート。
意味を読まないと、その作品に価値が見いだせないという事は、俺の中で作品としての価値は0ということです。芸術作品というのは意味はあとなんです。先に来ちゃダメなんです。
俺の中でよ、あなたは違ってもいいよからね。
意味が先に出ると、すごく胡散臭い物になってしまうんです。でも、所詮これは俺だけの考えで世間様はそうは思ってくれません。相変らず美術館ではゴミを並べ、くだらない歌をもてはやし、訳の分からん物はとりあえずアートという言葉でくくって安心なさるのです。
だから、おれは画家です。絵を売って生活する画家がいいんです。それ以上でもそれ以下でもない画家になりたい。はやく・・・馬鹿から卒業して画家になりたい・・・。
あーねむ。ちょっといい足りないから暇な時にもうちょっと文句を加筆します。w

さあ、ここで前の投稿は終わってたわけですが、続きいきましょう!あれから随分時間も経ってますから、大分口も悪くなりました。
つまりね、あの便器は便器なん!
それ以上でも以下でもないん。あれが出てきた時に、全世界がアホかってっつっぱねるべきだったん。
もーまじでくそだわー。
あらためて見るとほんとただの便器なんだもん。
むしろ、美術館に便器見に行ってる奴らが滑稽過ぎてびびるわあー。
アート?便器?いや、無理!
なんか、考えれば考えるほどムカついてくるわー。まじな話ね、俺はボッシュの絵を見にマドリッドまで行けるよ。
でも、便器見にはいけんわーw
ねえ?みんないけるん?無理っしょ。ってことはさ、本とかでいいのよ。別に実物見なくてもいいもん。考えだけでいいん。
だからね、美術館に便器があったらどうですか?って言う哲学の本でいいん。
本ならいいよ、読むよ。たぶん。
別にさ、寝っ転がってでも考えられるじゃんw
んで、このトイレの写真があればいいよ。
わざわざ、美術館でトイレ眺めてあーでもないこーでもないってwないわーw
これ、アートだからね。
皆さんがいうアートよ!アートって何よ?あー嫌いだわーこの言葉。ゴミってちゃんと言いたい。あ、違うわ、便器だったw
便器が美術館にあることについて考える。
まじうけるw勝手に考えてろよ!乙!
あ、でもね、この人の絵面白いんだよ。
いつか紹介したいなー。
それではまた!

ランキングに挑戦中、ポチっとお願い🤲
にほんブログ村 美術ブログへ
にほんブログ村