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我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか


ふーーー。
やるか。
とうとう、これやるか。
ポール・ゴーギャンの最高傑作!
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
タイトルなっげ!w
これね、すげえよ。
俺はね、よーく考えるのよこの事について。
眠れない時とか、こういうこと考えてさ、余計に眠れなくなるよねw
自分って、どっから来て、何もんで、どこに行くのよ?
永遠の課題だよ。
答えがない永遠の課題ね。
だからこそ、考えちゃうんだろうなあ。
多分ね、この事考えるのって人間だけだと思うんだよね。
他の生き物が、バカとかそういうんじゃないんだよ。
逆、バカしか考えないんだよ、こんな意味ない事。生きる上でこんな無意味な事無いからね。
ただね、猫は、なんか超越したとこで生きてる気がするよね。
犬はさ、もっとかわいいん。
あいつらはね、猫と違って素直で可愛いん。
なんか、もう一個の世界を感じてるけど、その時その時楽しく生きてまーす、そっちがいいでーす!っていう感じなん。
猫はね、完全に人間バカにしたとこで、上から目線で、生きてるよね。
多分、死っての理解しててそのあとのことも薄々気がつきながら生きてる感じがするんだよね。
そんなとこがさ、好きだけどムカつくんだよなw
ただね、人間に生まれた特権だと思うのよ。
こういう、バカなこと考えられる生き物に生まれられた事がさ。
いわゆる芸術って、それを考える行為なんだよね。
だから、おもしれーし人間に生まれたからには芸術にふれないって、もったいねーと思うのよ。
それをさ、直球で表現した絵だよね。
これさ、ゴーギャンの遺書なんだよ。
俺はね、常々、画家ってのは最高傑作を一枚残すことが仕事だって言ってるんだけど。
これって、死んだ時にわかるもんだと思うのよ。
それまではさ、どんなに苦しかろうが描くことしかないわけ。
それでしか救われない奴らがさ、かわいそうに、ずっと描き続けるわけよ。
でもさ、ゴーギャンは、これ描いた後、大量のヒ素飲んで自殺すんのよ。
まあ、失敗すんだけどねw
でさ、自分は一生これ以上の作品は描けませんって自分で認めてんのよ。
つまりね、画家自身が最高傑作ができました、自分の生きる意味が終わりました、って宣言しちゃってるの。ね、遺書なのよ。
とんでもないでしょ。
完全なる集大成だよね。
この絵はね、愛娘を失ったことが、悲しくも動機なんだよね、この絵を描く。
神など信じない、娘の墓にそえられた花、墓、全て見せかけで、何の意味もないって言ってるのよ。
生と死なんだよね、で、その上の次元にさ向かおうとしてるのよ。
さとりだよね。
この絵ってさとり!
遺書でさとり。
この時の、ゴーギャンってね、病気にもなっててさ、もう絵を描ける状態じゃなかったらしいよ。
もう、ぼろぼろの状態で描いたんだよ。
絵の評価もクソだし、病気だし、娘死ぬし。
無理でしょ、普通。
これをさ、未完成って言う評論家がいるんだけど、死ねと思うよね。
お前の目は、どこについてんだってね。
違うだろー!
たしかに、荒々しいタッチで描かれてる場所もあるけど、これがゴーギャンの全てだよ。
今までの作品と、違うとこにたどり着いたんだよ。
わかんないかね?
さあ、絵見ようか、
右から左へ、赤子から始まり、歳を経て、老婆で終わる。
人間の一生、なぜ?何のために?生命とは?
生まれて死ぬ、生まれて死ぬ、生まれて死ぬ。
どこから来たのか?
どこから?
どこへ行くのか?
どこへ?
これを考えると、ゴーギャンが一体何を描こうとしたのかがわかってくると思う。
生命を、円として考えたんじゃないか、と思うのよ。
どこからか、我々はやってきて、どこかへ向かう、それは繰り返される、輪廻転生ではないのかと思うのよねー。
ゴーギャンってさ、タヒチでさ幸せに暮らしてた訳じゃないんだよね。
ここは楽園だと思って、たどり着いたタヒチなんだけど、ゴーギャンはここで、とても楽園にいる人が描いているとは思えないようなタイトルの絵を描いてるよね。
嫉妬とか、死霊とかね。
結局さ、タヒチでもパリでも、見つからなかったんだよ楽園は。
美しさをさ、自然の美の中に探そうとしたんだと思うんだけど、皮肉かな、自然の中から人間に向かって行くんだよね。
ここでね、ゴーギャンは、どんどん内面世界に入って言ってる気がするんだよね。
見たものを描くんじゃなくて、思いを描くことだって言う方向に向かってるよね。
この絵には、今までゴーギャンが、こだわっていた色や構図から解放された、様式としての絵画ではなく、思想としての絵画を描いたのだと思うのよ。
もちろん、他の絵からもゴーギャンの思想は伺えるのだけど、もっと形態にこだわっている作品が多いように感じるんだよ。
この絵はさ、もっと思いに突き動かされて描いてて、ゴーギャンは出来上がった時に思ったんだろうな、今までと違う次元の絵が出来たってね。
でさ、多分出し切ってさ、すっからかんになっちゃって、もう描けないって思ったんだと思うのよ。
絵が描けないとかじゃなくて、次の次元にたどり着いたけど、心がカラッポで、内から出てくるものが何も無かったんだと思うの。
絵は描けるけど、魂の叫びのような絵には到底たどり着けないってわかっちゃったんだろうなって。
だからさ、この絵ってなんかさ、ゾクっとする怖さがあるよね。
最後さ、筆を置く時、出来た完成だ!じゃなくてさ、全部無くなりました、これ以上何も出ません、ポトリって筆を落としたって感じがするんだよなー。
多分ゴーギャンね、ここで死んでるん。
魂の意味では死んでる。
この絵ってそう言う絵だなって思うの。
なんかさ、こう言う無意味な事、考える俺たち人間ってさ、ホントバカ見たいなんだけどさ、可愛くも切なくもあるよね。

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