artchango

芸術・絵画・アート・映画・ときどき俺のこと

夢 変身


突然、えなが不治の病にかかった。
原因不明。
治療しようがありませんと医者から言われ、俺はなすすべもなく毎日病院に通った。
子どもの面倒見ながら、仕事なんかもちろん手につかない。とにかく、病院に行ってえなと一緒にいる。
別に話すこととか何もなくていい、えなと同じ時間、場所、空間に居たい。ただそれだけ。
しかし、そんな時間も長くは続かず、とうとう最後の時が来てしまった。
そして、えなは最後に言った、今までありがとう。優しい笑顔だった。
それが、最後の言葉。最後のえなの記憶。
俺は、絶望した。もう、何もしたくない。できない。
涙はすでに枯れ果てていた。
えなの両親も、うちの両親も日本に帰って来なさいと言う。でも、俺はえなと共に過ごしたこの土地を離れることは出来ない。
ここには、共に過ごした全てが詰まっている、新しい土地でえなを忘れてやっていくことなんて出来ない。
俺は、一人で子どもを育てながらこの土地で生きることを決めた。
ここから、子育てと仕事の地獄のような生活が始まった。
五人の子は、上が9歳、下は0歳。とにかく毎日が怒涛のよう過ぎていく。休む暇なんてない。
家事と仕事をやっている時間しかない。体は既に限界だった。
精神もボロボロ。
そして1日の終わりに、えなを失った悲しみに打ちひしがれる。
そんな日々を送っていたある日。
不思議なことが起きた。
子どもが俺のことを、えなっと呼ぶ時がある事に気づいたのだ。
そして、必ずそのあとに何かに気づいてバツが悪そうな顔をする。
はじめは、みんなえながいなくなった心の空洞を埋めれないんだなっと思っていたのだが、何かおかしい。
子ども達で、何かを確認しあっているのだ。
今は違うみたいだから気をつけて、とか、呼んじゃダメだよ、とか謎の言葉が聞こえてくる。
まあ、子どもってのは意味のわかんない事を言うもんだし、この状況で普通であることの方が不可能な訳でしばらくはほっておく事にした。
それから、奇妙な事が起きるようになった。
やりかけの家事が終わっているのだ。ちょっと休んでる間に、洗濯物が干されていたり、食べた後のお皿がキレイに洗って拭いて片付けてあったり、冷蔵庫の中に作った覚えがない料理があったり。
はじめは、子どもがやってくれたのかな?と思ったり、疲れてるから覚えてないだけかな?と考えていた。
しかし、俺は洗った食器を拭いて片付けたりしない。それをするのはえなだ。もちろん、子どもがそれをしているとこなど見た事はない。
そして、奇妙な事はさらに続く。
ギャラリーの人と打ち合わせをしてる時に、次の展覧会の資料にえなの名前があるのだ。
ん?と思った俺の視線に気づき、ギャラリーの人は、あ!これは、前のえなの展覧会の時の資料だから、と慌ててその紙を隠すように引き出しにしまった。
そんな事が続いたある朝、決定的な事が起きた。
朝、眼が覚めると、日にちが一日飛んでいるのだ。
たしかに、昨日は木曜日だった、ゴミを捨てたのをはっきりと覚えている。
ゴミの日は、火、木、土。
しかし、今スマホの中の曜日は土曜日なのだ。
何か、おかしな事が起きている。
昨日、俺は何をしていた?
全く思い出せない。
よくみると、手のいたるとこに絵の具がついている。
ありえない。
俺は、こんなに手を汚しながら絵は描かない。まるで、えなが絵を描いた後のような・・・
そして、なんの気なく壁をにかかっている絵を見て、俺は背筋が凍った。
えなの描きかけの絵が進んでいるのだ。
もう一度手を見る。
えなが描いた後のように汚れた手。
瞬時に悟った。
俺は昨日・・・これを描いていたんだ。いや、えなが描いたんだ。
そして、壁に立てかけてあった白いキャンバスが減ってることに気がついた。
俺は倉庫に向かった。
そこには、描きかけのえなの絵が何枚も壁にかけてあった。
しかも、えなが生きてた時に描いたものではない、全てが新作なのだ。
俺は・・・
いったい・・・
後ろに気配を感じ、振り返った。
そこに、子ども達が立っていた。
そして、恐る恐る口を開いた・・・
「今は、えな・・・だよね・・・?」
と長男が言った。
そこで、俺は完全に思考が停止した。

気がつくと、俺はギャラリーのオープニーングパーティーの中にいた。
沢山の人が話しかけてくる。
皆は口を揃えて、俺のことをえなと呼ぶ。
子ども達は、楽しそうにパーティーの軽食に手をつけている。
ギャラリーに展示されているのは、俺が倉庫の中で見たえなの絵の新作だ。
それが全て完成されて展示されている。
ガラスに映った俺の姿は、えなの服を着た化粧をした男の姿だった。

ランキングに挑戦中、ポチっとお願い🤲
にほんブログ村 美術ブログへ
にほんブログ村