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睡蓮の池に映る雲


俺は、絵画が音楽を超えることは不可能じゃないかって思っていた時期があったんね。
なんかもう、すごく全ての絵がチープに見えて、形も色で作られたただの平面世界。はー。
広がりもくそもねえ、ただそれだけの物。
それに対して、音楽ってすげえなーきれーだしすばらしいなー音の広がりって無限だもんな!
見えないのに、美しいって奇跡だな、もうー絵やめっかー、でも音楽は無理だしなーどうすっかなー、っていう時があったんです。
そんな俺に、現実よりも美しい世界を見せてくれた画家クロード・モネ
俺が最も尊敬し、全く影響を受けていない画家w
俺は、彼ほど美しい絵を残した画家はいないと確信しています。
みんな大好き印象派を作った人ですね。印象日の出っというタイトルの作品が印象派の最初の絵だといわれていますが、まあそれは特にすきじゃないです。
モネは、若い頃から絵の才能を発揮して、サロンにも認められていた。でも、上手いだけの絵に疑問をもってたんでしょうね。
目に見えない物への挑戦が始まります。それは光だったり、風だったり、雰囲気だったり色々な考え方がありますが、俺はその全てが正解で、全てが間違いのような気がします。
やはり言葉で説明出来るような物ではない何かを描いたんだと思うのです。
何はともあれ、その絵は誹謗中傷の嵐です。
彼が描こうとした世界を理解出来なかったんでしょうね、まあまだモネ自身わかっていなかったのかもしれませんが。
今日は、そんな彼が晩年に残した名作睡蓮の一つ「睡蓮の池に映る雲」。
彼の描く世界が完全に成熟された時代の絵です。
ちょっとバットマンが気になる・・・。いやーグラタンうまかったなー、バットマンも最高におもしろかった!
すいません、グラタン食いながら、横でダークナイトが流れてたもんでw
さて、「睡蓮の池に映る雲」に行く前にもう少しモネの絵について勉強してみましょう。
まず、有名なのが大聖堂の連作ですね。同じ構図で(一つ違うのがあったかな?)朝昼夕方と日の光の移り変わりを描いて実験した絵がありますが、俺には我々が当たり前に毎日見ている風景、毎日繰り返していると思っている生活、それらのことを、違う!一瞬一瞬変わり続けているんだ!
当たり前すぎて何も気にせず通っている道にも、毎日違う表情があり一瞬一瞬のその変化を感じて生きていくことはどんなに素晴らしいことか!と。
同じ時など一回としてない!と言うことを描いているように感じます。
さて、そんな彼が描き続けた睡蓮。最初のほうは、橋やらなんやら余計な物をいれ作品として描き上げようとしているのがわかりますが、だんだんとモチーフは睡蓮というよりも睡蓮が浮いている水面の方に絞られていきます。
削ぎ落とされていくんですね。まさに、先ほどの大聖堂の連作からも読み取れますが、水面の移り変わり、一瞬という時の儚さ、しかし写真では切り取ることの出来ない空気や木漏れ日の温かさまで全てを描ききっています。
モネの作品に限らず、印象派の作品ってのは近くに行くと何を描いているのかさっぱりわかりませんが、離れると、おーーーーすげーーーそれにしか見えん!という特徴を持っています。
そうなのです、たとえば睡蓮を描いているわけではないのです。その時間・空気・光・風・流れ、つまりは画家が感じた印象を描いているんです。
ただね、モネの絵は別格ですよ。前に言いましたがゴッホなんてモネと比べること自体おこがましいぐらいの差があります。
(ひまわりはゴッホの方がいいですけどね)
ゴッホが見えない物、空気や風の動きを見えるように描こうとしたのに対して、モネは見えないものではなくて感じたものを描こうとしたのです。
一瞬のきらめきとでも言うのでしょうか。もっと内側に向いている何かです。
とてもじゃないですが、俺には到底感じることの出来ない世界。
どうです、この絵。
なんかあったかい、でも睡蓮と水面からくる涼しげな風、柔らかいため息がでそうな、なんともいいがたい、あーーーーー美しい。
彼女と一緒にこの景色みてたら間違いなく告る場面です。
もう、彼女もうなずくしかないですよね。w 
絵の具で描いたとは思えないです。息をのむ絵って言うのがこの世にはありますが、この絵はその一枚です。
まあ、こんなクソ写真じゃ絶対わかんないと思いますけど、まじで本物はやばいです。
最高に美しい絵という意味では、ダヴィンチもピカソも勝てません。美しい絵ってのはきれいな絵と違うんです。
何かその奥にひそむ怖さというかあやうさ、そして儚さというものが描かれているんです。
なぜ、この絵にはそれがあって他の画家に絵にはそれが無いんですか?ッと聞かれてもさっぱりわかりません。
それがわかれば描けますからね。
最初に俺は現実よりも美しい、といいましたが、そう、現実世界でこのモネと同じ時間を味わうことが出来たとしても、この絵より素晴らしいと思うことは無いでしょう。
なぜなら、彼が感じたこの世界、モネが見た睡蓮を味わうことは出来ないからです。
モネの感じた睡蓮なんです。
我々が通り過ぎてしまう、この一瞬に感動したモネの視点で完成で描かれているんです。
だから、現実よりも美しく儚いんです。
この絵を見た時に俺は思いました。
音楽なんぞ糞だと。w 
音楽でこの世界を表現出来ているのは、きっとクラシック音楽だとかになるんでしょうけど、そういうのに興味が無いし、さっぱりわからない俺にとっては、音楽でこの世界を超えるのは不可能だなと感じたわけですw
早い話が、音楽でこの感覚を俺は味わった事がない。まあ、俺のせいでしょうけどw
そういうわけで、ちゃんと絵画の世界に戻って来れたという非常に大切な作品なのです。
ただね、とてもじゃないけど、まだまだこんな美しい絵は描けそうにないです。
時間とお金に余裕がある方、MOMAでこの絵をゆるりと楽しみ下さい。
本当に美しい絵。

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